本校区は、神功皇后にまつわる伝説と史蹟が残り、寛永年間及びそれ以後の開作事業によって広大な耕地を有するようになった。特に南高泊は戦後の干拓地であり、広い農地では現在も農業が盛んであり麦作なども行われている。
戦中、戦後の一時期には市内最大の小野田炭坑をもち、相当な殷賑を極めたが、エネルギー革命のあおりを受け閉山に至った。
その後、高度経済成長の国是のもとの市政発展に伴い大塚工業団地をはじめ、バイパス沿いに企業・工場・商店・住宅などが進出してきた。また、校区内各地に団地・住宅・公民館などの建設がなされ、本校区は農漁村性と都市性の二面性を有するようになった。
学校は地区中央部にあり、周囲を緑の木々に囲まれた見晴らしのよい高台に位置している。保護者や地域住民の教育に対する関心は高く、熱心かつ協力的である。